あひみての

ただただふざけ倒しております。

アイドルを応援する際に大切にしたいみっつのこと

 ジャニーズアイドルを本格的に(ファンクラブに入るなど)応援して3年ほどが経とうとしています。

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 ほとんど楽しいことばかりでしたが、去年は個人的にアイドルを応援していく事の是非が問われた年だったと感じました。自分がどうしてアイドルが好きなのかとか、アイドルの存在意義だとか、誰かから尋ねられるわけでもないのに考えてばかりいるような年でした。
 最近は、そんなことに疲れ果ててしまって、「楽しいからまあいっか」みたいな気分です。おかげで毎日目の前の楽しいことをとりあえず消化して食い繋ぐ、みたいな生活をしています。こういう精神状態になれたのは「NEWS LIVE TOUR 2017 NEVERLAND」のDVD&Blue-rayがとんでもなく面白かったからかもしれません。鬱屈とした気分で足を運び、楽しかったけど楽しみ切れなかった、みたいなコンサートが実はとんでもなく素晴らしいものだったとわかった時の衝撃は凄まじいものでした。まあそんな話は置いておいて。
 
 アイドルを好きでいたり応援したりしているのはなんだかんだ言って楽しいので、できれば続けていきたいです。しかし、なにも意識せず、手放しでアイドルを好きでいることは、わたしにとって結構大変なことだということがわかりました。
 前置きが長くなりましたが、これは自分への戒めという意味合いが大きいエントリーです。わたしにとっては大事なことだけれど、他の人にとっては全然大事じゃないし、記事にするまでのことでもないと思います。そこだけご了承ください。
 
 それでは、本題に移ります。わたしが自分のこととアイドルのことについて、感じたり考えたりと、まあなんだかんだ辿り着いた「アイドルを応援する際に大切にしたいこと」は以下の3つです。

  • 自分が感じたことこそが正しいという自信を持つ
 例えば、曲やコンサート、発言等々…について「好きだ」と感じるとき。新しいCDやDVDのリリース情報に対して「欲しい」と感じるとき。自分の好きなアイドルが出る番組の予告を観て「おもしろそうだ」と感じるとき。その「好きだ」「欲しい」「おもしろそうだ」の理由を事細かく分析し、言葉にするのは大変難しく根気のいる作業だと思っています。だって、好きなものは好きだもん!実際にフィーリングでその価値を判断する場面だって少なくないと思います。
 そんなとき、誰かの「嫌い」という強い意見や言葉によって自分の価値観がぐらぐら揺れてしまうことがあります。フィーリングで感じたものに、ある程度の根拠をもって反対されると、堪えるものがあります。あれ?わたし、どうして「好き」と思ったんだろう…?という具合に。
 しかし本来、社会の規範から逸脱していない限り、価値観に正解や不正解はないと思います。相手が嫌いなものが実は自分はとっても好きだったり、自分の好きなものが全く相手に受け入れられないことはたくさんある。それでも好きなものは好きでいいはずなのに、誰かから強い言葉で非難されているものを好きなわたしはセンスが無いんじゃないか、本質の見えていないバカなのではないかと感じてしまうことが実際に多々ありました。そしてその結果、楽しいとばかり思っていたそれまでの出来事も、同時に一瞬にして消えていくような気もしていました。
 
 例えば、わたしの大好きなアイドルに関する嫌な噂がSNSに書かれていたとします。写真もなにもない、書き込み自体伝聞を基にしたようなものであるとします。それを目にしてしまった場合、わたしはその書き込みが事実だったらと想像して、大変気分を悪くする恐れがあります(単純女なので)。それがアイドルの人気や地位を危うくするものだとしたら、ほとんど気が気でないという状態になってしまうかもしれないし、それまでのキラキラした楽しかった時間も嘘になって萎んでいくように感じてしまうかもしれません。
 でも別に、キラキラした楽しかった時間というのは嘘ではないですよね。確かにその時間は存在したし、その時間わたしは幸せだった。わたしにわかるのはその事実だけで、アイドルの是非を判断する際にわたしが使える材料は、わたしが全身で感じていたあのキラキラした楽しかったその時間しかないわけです。顔も名前も知らない人からの、出所もわからないものを証拠として扱うのはあまりにも危険すぎる。待っていればもしかして、その真偽が分かる日がくるかもしれないし(闇に葬られる日が来るかもしれない)残念なことに噂が噂で終わらず結局真実だった、みたいなオチがあるかもしれませんが、まあそれでもわたしが楽しくて幸せだった時間が消えるわけではありません。もしも後から判明した真実が決定打となって、そのアイドルに興味がなくなったとしても、かつて感じていた楽しさとか幸福感は大事に大事に持っておきたいです。
 
 結局、誰かの意見と違うからといって自分の感じたことを塗りなおす必要はないということです。価値観がズレてたってそんなのしょうがないし。というかズレてるかズレてないとか別に問題にするようなことではないでしょう、という話。
 そして一番大切なことは、「自分の感じたことこそが正しい」というのは、「自分にとって」という範囲のみだということです。相手にとっては、「相手の感じたことこそ正しい」のだ、という意識も忘れないようにしなければならないですよね。
 
  • 「自分のために」アイドルを好きでいるという意識を持つ
  個人的に、純粋に「誰かのために何かをする」というのは難しいと感じています。(わたしが人間的に未熟であるゆえなのかもしれませんが…。)
 「誰かのために何かをする」ことは美しいかもしれません。けれど、人生において何か大事な勝負をするとき、「応援してくれた人たちのために頑張りました」と言うより、「わたしが勝ちたいから頑張りました」という方がわたしにとっては自然だし、嘘がありません。最終的にはわたしが勝負に勝とうが負けようが、他の人の人生に自分の人生よりも大きな影響を与えることは少なそうだし、極端に言ってしまえば勝負の結果を握りしめて死んでいくのはこの世にわたしだけだからです。
 
    わたしがアイドルを好きでいるモチベーションは、アイドルの顔です。例を挙げると、わたしはNEWSの加藤シゲアキさんの顔がとんでもなく好きです。その性格やお仕事に対する姿勢、歌声、彼の書く文章など、顔以外にも好きなところはたくさんあるのですが、まず第一に顔が好きじゃなければそういう部分に気付く事さえできていないだろうと思うほどです。
 わたしはかっこいい顔を見て、自分が幸せになるためにアイドルを応援しています。加藤シゲアキさんをはじめ、応援しているアイドルが、幸せな人生を送ってくださるのに越したことはないのですが、わたしが彼らを幸せにする義務は全くありません(不幸にする権利ももちろんありません)。
 そして、わたしが勝手に顔をかっこいいと判断して勝手に幸せになっているので、アイドルがわたしを永続的に幸せにしなければならない義務もありません。
 ただ、継続的にアイドルに対してお金を使っていると、どうしても「こんなにも長く応援しているのに・こんなにお金を払ってきたのに」と不満に思ってしまう瞬間が訪れる可能性があります。
 「誰かのために」とする行為には、少なからず見返りを求める心理が働くような気がしています。「あなたのためにこんなにしてあげたのに、酷い仕打ちだ」という感情になるのはこのせいだと思います。先程も述べたような、アイドルに対して「こんなにも長く応援しているのに・こんなにお金を払ってきたのに」と不服に感じるのもこのせいでしょう。
 しかし、わたしはアイドルのためにアイドルを応援しているのではありません。わたしはいつだって、自分の幸せのためにアイドルを応援しているはずです。わたしがCDを買うのは、その曲が好きで毎日聴きたいと思ったからで、そのCDのジャケットがビジュアル的に優れていて手元に置いて毎晩眺めたいと思ったからです。アイドルが美味しいご飯を毎日食べて暮らすのに越したことはないのですが、その食費の足しにしてもらうためにCDを買っている訳では決してないのです。欲しかったCDを手に入れられた時点で、払ったお金の行方など知ったこっちゃないのです。だってわたしはもう幸せなのだから。
 
 そして、わたしが自分のためにアイドルを好きでいるように、アイドルも自分のためにアイドルをしている、という意識も大切なのかもしれません。この広い世界で、アイドルとわたしの人生が交わった理由は、運命や奇跡などではなくお互いの望むものが偶然にもギブアンドテイクできるものだったからであり、基本的にはわたしはわたしで、むこうはむこうでよろしくやっておくしかないのかもしれません。
 
  • 自分の中に足りないものを、アイドルに埋めてもらおうという意識をなくす
 先日、【「じゅんたくん」とよびたくて - あひみての】という記事の中でも少し触れたといえば触れたのですが、わたしは自分の中の未熟で足りない部分をアイドルに補わせているような感覚がありました。具体的にいうとそれは「自分自身への肯定感」みたいなものについてです。
 アイドルを応援することは手っ取り早く自分を正当化できる手段のひとつで、そしてわたしはその点でアイドルを道具として扱っていたのだと思います。
 ステージできらびやかな衣装を着て、多くの人にまるで祝福されるかのように歓声を浴びるアイドル。きっとその陰には血の滲むような努力があるのだろうけれど、見せないからわからない。まるで生まれたときから運命が決まっていたかのようにステージに立ってくれる。彼らは「自分だけじゃなく、他人にも誇れる生き方」をしているように見えます。
 だからわたしは、そんな誇り高い生き方をしている彼らを応援することで、自分も少しでも誇り高くいようとしていたのです。
 
 アイドルは完璧でいなければならない。
 アイドルは誰からも好かれていなければならない。
 アイドルは誇らしくいなければいけない。
 ではなく、
 アイドルは完璧でいなければわたしが困る。
 アイドルは誰からも好かれていなけれわたしが困る。
 アイドルは誇らしくいなければわたしが困る。
 きっとそう、考えていたのだと思います。
 
 これは前述した「アイドルもアイドル自身のためにアイドルをしている」という話に繋がるのですが、アイドルはどこかの誰かの人生を生きるためにアイドルになったわけではないし、自分の人生を一生懸命生きているからこそアイドルになれたのだと、今は思います。
 
 そしてここからは「自分のためにアイドルを好きでいるという意識を持つ」ことの補足的な話にもなるのですが、自分が幸せになるためだからといって、周りの誰かの幸せを蔑ろにしていい権利なんてどこにもありません。自分の幸せのために、アイドルを道具として扱っていいわけでは決してない。わたしの、自分自身に対する誇り・自信というものは辛くても自分で切り開かなければいけないものであって、誰かに背負わせるものではない…。
 これはわたし以外の人間はみんなわかっていることなのかもしれませんが、わたしはやっと気づけたのでこれからは心に刻んで忘れないようにしなければならないですね。
 
 
 
 ……長くなりました。
 この記事を書いている間にNEWSの携帯ゲームリリースが発表されました。もう少しでジャニーズWESTの新曲が発売され、小瀧望さんの主演映画が公開され、個人的には5月にSexy ZoneNEWSのコンサートを控えています。…あ~~~~~~~~ジャニーズって楽しいな!!!!!!!!!!!!!!!!!!いやこれホントに。
 
 というわけで、精神的健康を保ちつつ、楽しく、適度にこれからもアイドルを眺めて楽しんでいこうと思います!
 
 以上です!